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前世探訪4  同時に生きる
セカンドオピニオン
「彼はとてもこの川が好きでした。通勤の途中ということでもありましたが、散歩をしていました。特にこの辺り(北上川と合流する付近)が好きでした。」
それは全く予期していないことだった。と言うのも別のチャネラーにセカンドオピニオンを求める形で前世の検証をしようというアイデアがなかったからだ。
あるスピリチュアル関係のセミナーでご一緒したMさんと相互リンクをすることになった。彼女のサイトにはまもなく開かれるスピリチュアルコンベンション(スピコン)の紹介があった。僕は今まであまりスピコンに興味はなかったのだがたまには東京にでも出てみようと思って行くことにした。それでスピコンのサイトを見た。そこには出展者リストがあり、数ある出展者の中から「前世」と言う言葉を見つけて(実際はいくつもあった)クリック。そこがアンジュさんのサイトだった。そこは既に何ヶ月も手入れがされていないサイト(当時)であったがとても興味が湧いた。そして彼女の居所を見て驚いた。なんと僕の最寄り駅の2つ先の駅付近に住んでいたのである。
スピコンで彼女と直接話しをした上で、彼女のもとを訪れた。
前世である八木栄三についてチャネラー(現在ではスピリチュアルカウンセラー)であるアンジュさんが僕に言った。そして・・
「そこへ行けば何か思い出すかもしれませんよ」
と彼女は続けた。今回の旅は前世探訪に関してはその合流地点に行くことだけを目的にし、後は純粋に観光を楽しもうと4度目の花巻行きを企画した。
前世、八木の導き
2004年6月25日
8時25分東京発はやて5号に乗車。盛岡で下車。再びじゃじゃ麺を白龍本店で食べてから花巻に向かった。 梅雨の真っ只中であるのに雨は落ちてこなかった。僕が訪れるといつも花巻は曇りであった。花巻女学校の校章花巻高等女学校の校章この微妙な天候にいつも当たるのは晴れに当たるよりも難しかろうと思った。そしてこの天候はかなりの距離を歩く散策に非常に好都合であった。
僕はまたも適当に歩を進め始めた。しかし以前と違ってそれが最良であることを確信していた。まずかつての花巻高等女学校、現在の生涯学習センターを訪れた。どこかに女学校時代の痕跡がなかとうかと探すと体育館の上方に校章を見つけた。
今回の旅は豊沢川と北上川の合流する地点へ行くことが目的であった。 八木自身の著作に豊沢川に架かる豊沢橋まで生徒が送ってくれたとの記述があったのでそのルートを辿ることにした。と言っても何か資料が在るわけではなく、いつもながらの直感だけに頼る散策である。
高等女学校跡の松並木から出発する。かつての釜石軽便鉄道軌道跡の道を横切り左に旧鳥谷崎(とがやさき)駅、右に旧軽便鉄道本社を見ながら細い路地を下って南進する。左右に立派な旧家が立ち並んでいる。サンモールYAGI程なく突き当たりに出てしまったので左折すると当時は川口町役場と呼ばれた花巻市役所に出た。その交差点を左へ折れ、再び南進。下りきったところは上町なる地区でデパートや銀行が並ぶ商店街である。ピークを過ぎた感じであちこちの建物に綻びが見え、寂しい思いに駆られる。この地区はかつてより花巻銀行や花巻電燈社、岩手銀行また活動写真館、銭湯もあって栄えていた地区だった。この商店街のある通りは遠野へ至るメインの道の一つであった。その道を横切ってさらに南進しているうちに果たしてこの道で良いのかという疑問が襲った。すると面白いものに遭遇した。「サンモールYAGI」の表示だ。おまけに下には馴染み深い「いーはとーぶ」の文字。問いかけたら即座に答えはやって来た。この道で正しいらしい。
浄土宗松庵寺右手に寺が見えた。浄土宗の寺、松庵寺であった。吸い込まれるようにその門をくぐった。特に何かあるわけでもない小さな寺、老女が落ちた木の葉を掃いていた。何も変わったところがないのを確認して出ようとした瞬間、老女が手招きをしている。行くと勝手に老女は話し出した。なにやら有名な文人の碑があるのだが、それを求めて来た観光客はあまりに目立たぬその碑に気付かないらしい。老女はそれを僕に教えたのだった。僕は全く興味がなかったからその文人の名も今は忘れてしまったくらいだ。いや、その名を忘れたのはそれ以上に驚くことがあったからだ。勝手に話している老女を見ていて、僕は心臓の高鳴って来るのを感じた。「彼女は八木のことを知っているのではないか?」老女の話が終わるのを待って切り出した。「おばあさんはこの土地に長いのですか?」耳が遠いらしくなかなか伝わらなかったが老女は答えた。「私はここ(花巻)から出たことがないよ。」「花巻の女学校で八木先生と言う先生が居たのですが、知っていますか?」この質問も何度か繰り返さなければならなかったが老女は答えた。「ああ、お侍さんの息子さんだった先生ね。」ここまで聞き出すのがやっとであったが小さい町であるとは言え相当に昔の人物を実際に知る人に出会えたのは幸運であった。いやこれは運ではない、僕には八木が導いてくれているとしか思えなかった。
私の好きだったところ
遂に豊沢川に出た。川の土手に上がって下流へと向かう。八木が子供たちに送ってもらったと言う豊沢橋。川の流れは緩やかであった。その流れに沿ってゆくと視界がぐっと開けた。 北上川である。しばらく何も考えずにベンチに腰掛けていたが.....
ポイントの一部豊沢川と北上川の合流点前世の記憶が蘇るなども無かった。 そこに妙なものが置いてあった。これは鉄道のポイントの部品であった。ポイントを切り替えると円形の表示板が回転してポイントの方向を知らせるものだ。転轍機の表示板何故こんなところに?疑問は程なく解けた。土手の遊歩道には二本の線が描かれその二本の直線を横切る線が等間隔に連なっている。これは鉄道の線路を模しているのだ。そしてその横にこの様な部品を配しているのだった。土手を進んでいくと幾つもこのようなものがあり、途中には停車場を模した休憩所まで設置してあった。鉄道好きの僕にはとても嬉しいことで、無造作に置かれているそれらの鉄道部品を触って動かして遊んだ。
朝日橋に出た。これは先ほど横切った遠野へ至る道である。ここで僕はこの道を花巻方面へ引き返すことにして東へ進んだ。立派な新しい塀を持つ円城寺があった。恐らく面する道路の拡張工事で敷地の一部を削られたのであろう。花巻小学校から移築されたお稲荷さんこのまま進むと来たときと同じ道へ出てしまうので不意に右に入る。しばらくすると左に巨木が見え観音堂と案内が出ていた。近づくと幹がうねる様に絡まりあってその生命力の大きさを感じた。花城小学校にあったお稲荷様
階段を上がって行く。これは鳥谷崎神社に至る参道であった。僕は拝むことはしないのだが、折角なので入ってみた。神社の境内は広場になっていて草が覆い茂ってはいたがブランコなどがあって公園としても使われていることが知られた。そこにお稲荷様の社がポツンとあった。これは花城小学校にあったものをここに移したものだった。ここでも八木との縁を感じさせられた。かつては舘小路と呼ばれていた狭い道路を進み花巻駅へ向かった。そして再び鳥谷崎駅跡に出て花巻へ戻った。
宿へ行くのにもまだ早かったのでいつもの花巻図書館へ寄った。既に慣れたもの、カウンターで郷土資料室へ案内してもらった。僕にとってここは宝の山だった。そこで大正4年9月の略地図とそれより少し時代が下ったであろう地図を見つけた。図書館員に頼んでコピーをさせてもらった。これは大きな収穫だと喜び勇んで宿へ、三度目の志度平である。部屋に着くと早速古地図を広げて眺めた。
古い地図は字が右から左へと書かれていてとても読みにくいので図書館で見ているときには気付かないことがあった。つい先ほど何気なく訪れていた鳥谷崎神社の境内。そこに相当する地図の場所に記された文字。「園公東」つまり「東公園」。晩年の八木の居所は大沢温泉であることは分っていた。そしてもう一つ地名がはっきりと記録にあるのは昭和14年、八木53歳のときの「東公園」であった。これは現在では完全に失われている地名で僕は探すことを始めから諦めていたのだ。探すつもりもなかったものを、全く無意識的に見つけてしまっていた訳である。
同時に生きる
2000年2月にヒーラーの方(上記アンジュさんとは別の方)にこんな事を尋ねた事があった。
「僕の人生の目的はなんでしょう。」
するとこんな答えが返ってきた。
「あなたは人生にバラ色を期待しているのですね。自分には色あせたものは似合わないと考えており、またそう言ったことが起こることを期待し、諦める事の無い方なのです。あなたは今回色あせる事の無い人生を送ろうと決めて生まれてきました。」
どうもピンとこない答えだった。そんなことは意識したことがなかった。しかし僕は八木の晩年の人生はどうだったのだろうかと思ったときにこのヒーラーの言葉が蘇ってきた。彼は著作で知る限り、力の限り表現してきたように感じた。しかしこの著作はちょうど彼が公職を追放され、無職になった後に著されたものだった。もしかしたら彼は晩年を華々しい、活動期から衰退していく己の姿を惨めに思っていたのではなかろうかと感じた。まさに色あせて行ったのかもしれない。彼が僕の前世だとすれば、僕はその色あせていく自分を見るのは嫌だと強く思ってこの世に来たとも言える。
彼の著作はどれほど人に読まれたのであろうか?恐らく自費出版に近かったであろうから部数は出ていないはずだ。だから残っていないのだ。内容はエッセイ的な、そしてかなり八木の私見、主張であって公的なものではない。従って読む人も少なかったと想像できる。彼の著作を通して僕は彼の存在に触れる事ができた。そして彼の著作、生き様を見て僕は決して「晩年に色あせていく」人生では無いと思った。彼が僕の前世だとすると面白いことになる。彼は「色あせていく」人生を体験し、僕は「色あせない」人生を願ってここへ来た。数十年をへて僕は自分の前世の生き様を再度見て「色あせていない」と評価する。すると実は僕の目標もそこで成就される。「人生は色あせるものではない」と知ったのだから。とかく、前世と言うと、前世療法の様に、過去に現在の問題の原因を探ることに考えが及びがちだ。たしかにそれはある面で正しいのであるが、それは時間を直線的に考えているので【原因から結果】と単純に考えてしまっている。
花巻の旅で僕が実感したことは違っていた。過去が現在に影響を与えているのは当然だが、過去を今、この瞬間に思い出し、再評価する事によって、今と過去が変わるのである。だからすべての物事はどの瞬間に置いても常に原因であり、結果である。それは同時に存在している。これは精神世界的な考えでもあるが特に奇異なものではなく心理療法の中核を為す考えでもある。催眠、あるいはその他の手段を使って過去を再現し再評価すること、これはリフレイミングと呼ばれている。ただ、それが前世に及んだだけである。
彼が僕の前世かどうかを証明することはできない。その証明の為の前世探訪の旅ではなかった。 ただ・・・「行きたいから行った」のだ。 そして何も計画せず、流されるままに動いていたら、八木のメッセージに出会ったように思う。 前世探訪を続ける中でどんどん現在の自分が深まっていく感じを受ける。それこそが僕が自分に対して仕掛けているワクワクする課題ではなかろうか。人は何故悩みながら生きていくのか?様々な体験を重ねていくのか?自分とは何者か?人とは何か?何故今、ここで存在しているのか?今見ているものは何か?どこに居るのか?
前世探訪はまだまだ終わらない。今の自分がどんどん変化するにつれてまた新たな関連の前世が現れ、同じ前世でも違った次元の情報が与えられるからだ。 それは受信機がアップグレードされて別の電波を捕らえることができるようになるようなものだ。
前世探訪5 八木英三 へ続きます。

前世探訪